合気道の技の形を覚えるだけでは、お約束の柔術のようなもので、合気道は「合気」がなければ、合気道開祖の「合気」道にはなりません。
しかしその合気が、先生によって説明が全く違っていたり、難しかったり、分からなかったりするため、形だけの技になってしまいます。
合気道のもとにもなった大東流合気柔術でも「合気」が重要で、合気が無ければ大東流柔術のような感じになってしまいますが、武術は秘密主義であるため、合気も秘密にされたりしていました。
重要なことはセミナーなどでお金貰って教えたり、誰だって重要なことは教えたくないのと同じことで、特に命がかかっていた武術の世界では、秘密にされていたのです。
また元々重要なこと、本質的なことは教えようとしても、伝えることも難しいこともあって、何でも形骸化してしまいがちでもあります。
開祖のいう合気と大東流合気柔術の合気とは、同じ合気という名前でも、全く意味が違い、分かりやすく言えば開祖の合気は、氣、魂、神様に関することに対し、
大東流合気柔術の合気は、体術的な合気、技術的な合気を指していたりしますが、合気道をやる人にとっても、ある程度それを理解出来たり使えなければ、
合気道の技も、頑張られた時に全く技がかからないなど、大東流合気柔術の合気も大変参考になるものです。
そのため合気道に興味がある方は、大東流合気柔術の「合気」も勉強されるといいですが、合気で最も有名な先生の一人、
大東流合気柔術の達人、佐川幸義先生の合気について、「透明な力」の中からいくつか紹介します。

合気と柔道とはやり方が違うものだ。柔道は押したり引いたりして崩して行くから年をとったら引く力も衰えて来るし、だんだん出来なくなってしまう。
しかし、合気は相手の力を吸い取ってしまう研究だから年を取っても可能なのだ。
合気は技術であり、そこに何があるのかという立場で研究を続けて初めて少しずつその理が分かってくるものがあって、合気は気の流れなどといった考えからは、いくら何をやっても出て来ない。
p71
合気は集中力とか、透明な力というような、いわゆる力とは違うものである。合気は敵の力を抜いてしまう技術だからである。そのうえくっつけて離れないようにもしてしまうのだから大変なことである。
p62
私は肩に力を入れずに出す透明な力を使っている。
p133
合気が分かる前はそれほど興味はなかったが合気が分かってからはいくら相手が力を入れても軽く倒せるのですごくおもしろくなった。合気が分ったら、どんな者に対しても力を使わずにできる。
力が強いものはやりにくいというのでは合気ではない。合気は目の付け所が違う。発想がまるで違うのだ。努力すればできるというものではない。くずしは合気の一部だがすべてではない。
考え方がまるで違うから頭を使わなければならない。頭の悪い人は合気は絶対にできないのだ。それと鍛錬だ。鍛錬していても合気をとりにくいのに、鍛錬していないものが分るはずはない。
とにかく武田先生にはポンポン投げられてしまうが、他の弟子たちを私が押さえたら皆動けなかった。だから何とかして合気をものにしようと思ったのだ。しかし容易なことではない。
合気は他の武術と違って力でやるわけではないし敵の力も受けないし、敵の力も出ないようにしてしまう。こういったやり方だから年をとってもできるのだ。
合気は完全に年齢を乗り越えてしまう。合気がなければ、年をとったらできない。
p61
どうも、皆形をまねしようとして形さえまねできれば良いと思っているようだがそうではない。形ではなく、形にあらわれないところに本当に大事なものがあるのだ。
長い間の持続した鍛錬と研究の結果少しずつ出来るようになっていくものだ。
p70
※武田先生・・・武田惣角(たけだそうかく)。大東流合気柔術を広めた。合気道開祖、植芝盛平の師匠でもあり、開祖は大東流合気柔術を習った後に合気道を創る。
スポーツでも何でも、目に見える形だけを真似しがちですが、形にあらわれない所に本当に大事なものがあるというのは、
合気道、大東流合気柔術、合気、などに限らず、全てにおいて言えることで、札幌女性合気道でも、そうした所を大事にしたいと思っています。
また、たまに札幌女性合気道に来ている人に、合気をかけてあげるのですが、身体マジックみたいなものだから、驚いたりするリアクションが面白いです。
興味ある方一緒に合気道やりましょう。
