アーノルド坊やに出て来るお手伝いのギャレットさんが、昔からの大親友に会った時、友達は成功しているのに、
自分はしがないお手伝いだとひどく落ち込み、珍しく二日酔いになるまでお酒を飲み過ぎたことをきっかけに、急に自分はお手伝いを辞めると言い出しました。
「この辺で自分は進む道を変えなきゃいけない」「もう一度世間に出て自分がどれだけ通用するかやってみる」と自分なりに気づいたのです。
また多少迷いもあったでしょうが、ギャレットさんがいる所に、タイミング悪く新しくお手伝いさんを依頼していた電話がかかって来てしまいます。
最終的にはネタバレですけど、必死に生きがいを探していたけど、自分はとっくに見つけていたことに気付いて、
お手伝いを続けることになったのですが、ギャレットさんのように幸せの青い鳥を探していたけど、実は目の前にいたようなことはよくあることです。
そのため自分が好きなことは何かと、表面的なものをつまみ食いだけするように、何か嫌なことがある度に、
違うものを探すだけでは、本当は自分が好きなものを見つけたり、出会っていたけど、素通りすることになってしまいます。
またその時は自分なりにこうだと気づいたり、思ったことが正しいと思うものですが、その時にそう思ったというだけで、本当の意味での気付きや正しい考えではなく、
ギャレットさんの場合は、次の日に気付いて、お手伝いを辞めずに済みましたが、本当のことに気付くまでには、何十年もかかかったりして、
後であれが本当に自分が好きなことだった、合っていたことだった、必要だったと気づいて後悔します。

ただ後悔したとしても、それが必ずしも悪いことではありません。
人間というのはそういうものだからで、何十年もの月日が必要になることだってあり、未だに気付いていないことも色々あるでしょう。
ちなみにギャレットさんが友達に会った時にお酒を飲んで、急におかしくなったようになりましたが、私はこういう場合、何かにとりつかれたと考えます。
とりつかれるみたいなことは、普段分からないし、気付かないだけでよくあり、珍しくも何ともないことですが、ギャレットさんが最初自分なりに気付いたものは、自分自身の考えではなく、
とりつかれた存在にそう思わされたり、操作されたもので、そうしたことを知らないと、全ての考えが自分によるものだと思ったり、そのことに気づかなかったりします。
しかしそれも含めての人生で、またそれによって改めてこれが自分の生きがいだったと気づかされることもあるため、もしかしたら必ずしも悪いものでも無いかもしれません。
もし合気道に興味を持った場合、まずやってみなければ好きかどうかは分からず、また少し味見した程度の感覚では、
本当の所は何も分からないため、何でもある程度やり尽くすことによって、本当のことが分かってきます。
合気道に興味ある方、札幌女性合気道で一緒にやりましょう。