札幌女性のための合気道

札幌の女性のための合気道。札幌、西区、手稲区、中央区、北区、東区、銭函、小樽、石狩で合気道、護身術に興味のある女性、一緒に合気道やってみませんか?プロの整体師、プロのスポーツトレーナーが合気道を教えています。

札幌で合気道をやる前に知っておきたい礼儀と霊儀

今の時代で礼儀が大事と言えば嫌がられたり、また札幌で合気道に興味を持って、合気道をこれから始めようかと考えている女性、迷っている女性に、

 

合気道も礼儀が大事」

 

などと言えば、堅苦しいと思われたりするかもしれません。

 

 

確かに、一般的に知られている礼儀で言えば、形式ばっていて堅苦しく、余りいいものでも無かったりもします。

 

しかしその礼儀というのは、今まで学校教育などで教えられてきたものであったり、本当の礼儀を学んだことのない経験から、本当の礼儀について誤解され、礼儀に対する間違ったイメージや先入観、思い込み、嫌悪感を持ってしまったのです。

 

 

 

礼儀は先生や先輩の為にあるものではなく、自分自身のためになるもの、自分自身のためにするものが礼儀です。

 

更にもっと深いレベルで言えば、礼儀は霊儀でもあり、自分の霊性を高めるものが礼儀なのです

 

 

札幌 合気道

 

 

 

それと最近札幌でも、護身術を習いたいと思う女性が増えてきましたが、実は礼儀を身につけることが、最も有効な護身術にもなります。

 

 

多くの女性が、札幌の護身術教室で期待していることは、暴漢に襲われた時の対処法や、護身術のテクニックなどです。

 

しかしそうしたものは、実際の護身術では中々直ぐに使えるものでもなく、暴漢も気の弱い暴漢から、体が大きい暴漢、軍人、プロなど様々で、相手が強くなればなるほど、護身術教室で習った、付け焼き刃程度の護身術では、全く通用しません。

 

そのため襲われた時の対処法を学ぶことより、もっと重要なことは、そもそも日頃から敵を作らないような心構え、生活態度で、それが礼儀を身につける事なのです。

 

 

 

 

合気道開祖である植芝盛平翁が、「伝承のともしび」という本の中で、礼儀とはどういうものかを、非常に分かりやすく説明されています。

 

それを知れば、今までの礼儀に対する固定概念が変わり、きっとあなたも本当の礼儀に興味を持ち、身につけたくなるに違いありません。

 

 

 

合気道開祖が教える礼儀

 

「武道は礼儀に始まり礼儀に終わる」とよく言われているが、日本の社会で非常に礼儀が重んじられているのは、武道修業の場である道場である。考えてみれば武術の修練は攻撃力、防御力と矛盾する技術の修得であるから、おのずから自制心とあえて敵を作らない作法が必要になるわけである。

 

 かつて私が合氣道開祖に、「武道の修業にとって一番に大切なものは何でしょうか」と尋ねた時、先生は、

 

それは日常生活において礼儀正しいということである。人間生活において、他人と仲良くしたり、相手を敬うということは、敵を作らず、隙を作らないことにも通じるのである。

 

古今の名人達人といわれた人々は、すべて礼儀正しく、謙虚にして誠実な人々である。昔は私も各種の武術の修業でいろいろな大家の門を叩いたが、一流と言われる人々は、みな礼儀について厳しい躾を自らに課した人たちであった。

 

また、礼儀とは霊儀ともいう。まず、自己の霊性に対しての自尊心がなければ本当の礼儀作法にならない。それは相手に対して礼儀正しいということは自らの霊性に対しての敬意を表したものであるからである。

 

相手を蔑むことは自己の霊性の価値を下げることになる。日本の武道において、礼節即兵法と言われるゆえんである。武道を学ぶものは心正しく、隙がなく、礼儀正しいことが肝要である。自らの霊性を覚醒した者には至誠の士が多い。君たちも心得て礼儀正しくなければならない。

 

p68

 

 

武の道に進む者は、まず自己の礼儀を正さなければならない。礼儀とは単に行儀作法という形式ばったことではなくて、別の意味では霊儀といって自己の生命に神我を自覚し、愛と慈しみを表すように、日常の生活の行為に体現することなのです。

 

すなわち礼儀とは自己の生命という神我、その自霊に対して、いたわりを持つことであり、与えられた生命を大切にして慈しむことは、神に対しての感謝を表現することです。

 

周囲の万心万有に対しても、万有愛護の神精によって調和を成すのです。一切のものの内に神なる大愛を見る者には敵はないのです。さすれば自ら内側から花咲くように美しい言葉づかい、美しい立ち居振る舞い、美しい想念は自己を浄化し、同じく周囲に平安と幸せをもたらすのです。

 

反対に粗暴な振る舞いや乱暴な言葉づかい、我執の強い想念は決して自霊に対して徳の光も安心立命も増進するものではありません。

 

人間は弱さから罪を犯し、不安心から強がってみせたり、利己心と自由の価値の意味を混同したり、放埓(ほうらつ)を民主主義と言い訳したりするが、迷妄している想念は、周囲に毒害を及ぼし、不幸を作り出す原因です。

 

多くの人々は自己愛を持っています。しかし、真の意味での自己愛ではなく利己主義の曲解された姿であり、自己を愛するがゆえに他人を憎み、不審、対立するというどうどうめぐりをするのです。

 

死後に極楽か地獄にいくかを心配するよりも、生きている、生活しているところに天国を創造することです。この大自然の法則は相互補助と調和において成立している真理がわかれば、真の自由と安心立命を得ることができるのです。

 

p148

 

※放埓(ほうらつ)

1 勝手気ままでしまりのないこと。また、そのさま。

2 身持ちの悪いこと。酒色にふけること。また、そのさま。

 

 

 

 

合氣道開祖の教えはいかがでしたか?

 

 

今まで自分が知っていた礼儀とは違い、きっと今まで一度も聞いたこともない様な話で、また実は礼儀も、非常に奥が深そうだぞというのも、何となく分かって貰えたのではないかと思います。

 

 

こんな合気道開祖の教えに興味を持ち、札幌で合気道をやってみたいと思った女性は、ぜひ一度体験にいらして下さい。

 

 

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