札幌女性のための合気道

札幌の女性のための合気道。札幌、西区、手稲区、中央区、北区、東区、銭函、小樽、石狩で合気道、護身術に興味のある女性、一緒に合気道やってみませんか?プロの整体師、プロのスポーツトレーナーが合気道を教えています。

合気道と整体とストレスにならない考え

今は物質的には豊かになったものの、多くの人がストレスや悩みを抱えたり、精神的には満たされずにいます。

 

 

学校では、そうした最も大事なことは教えられず、また根性の時代から好きなことをやろうという、今風のプラス思考に変わったものの、それは本質ではなく形を変えただけであるため、

 

かえってうつ病の人が増えたり、失敗を恐れチャレンジしなくなったり、表面的な人付き合いにもなるなど、昔以上に精神が満たされなくなってしまいました。

 

 

札幌女性合気道では、究極的には魂の学びの合気道、宇宙の法則を学ぶ合気道で、もう少し分かりやすく言うと、心と体が健康になるための合気道、またストレスを抱えづらい心と体を身に付けたり、悩みを乗り越えて行く合気道ですが、

 

札幌女性合気道で行う合気道を読み解いていけば、そこに様々な答えが詰まっているため、気づくきっかけ、自分と向き合うきっかけ、悩みを解決するきっかけになったり、ストレスに強くなるなど、言葉では上手く説明出来ないほどの様々な効果があります。

 

 

しかし合気道の様な宇宙の法則ではなく、私はこう思うといったような、人間が考えたようなものを当てにしてしまうと、上手く行かないのです。

 

 

心が満たされないとか、何か不満に思ったり、ストレスを抱えやすいとすれば、そうなりやすい考え方になっているからですが、そうしたものとは全く違う考え方と体を、札幌女性合気道で新たに身に付けて行けば、今の現状が変化して行きます。

 

今回は不満や妬み嫉妬を持ちにくく、ストレスを抱えにくくなるような考え方、成功体験を積んで行く方法、納得した人生を過ごせる方法を整体を例に説明します。

 

 

 

整体で良くなる人は、例えば10がMAXの痛みや症状とした場合、現在8の痛みや症状があって、それが5になったとすれば、よくなった所に意識があるため、その変化を感じ、喜ぶことが出来る人で、

 

それに対し治らない人とは、痛みが残っている5に焦点があるため、3の痛みや症状が取れ、5になったとしても喜んだりはせず、「まだ痛いです」と、痛みだけを見て、よくなった所や変化を見ようとしません。

 

 

また良くなったことが分からなければ、次に整体を受けるモチベーションにならなかったり、良くならなかったと考え、整体を受けるのを辞めることにもなるでしょう。

 

 

整体でも、合気道でも、ダイエットでも、掃除でも何でも、大事なことは一発逆転とか、大ぶりのホームラン狙いといったものではなく、一つ一つの積み重ねです。

 

良い変化を重ねて行けば、やがて良くなるし、更に変化を見たり感じたり出来れば、「楽になった!」「嬉しい!」「治る可能性が見えて来た!」など、プラスの感情を持つことが出来ます。

 

 

しかし、今の時代でよくある、「何でも、簡単、直ぐに」などといった情報に洗脳されてしまうと、どんな症状や体であっても、一回の整体で良くなるものだと考えてしまい、折角良くなった所があってもそれは無視して、

 

治る筈のものが治っていない、だから私は治らないんだ、と落ち込んだり、あそこの整体は技術がない、大したことが無い人だ、嘘つき、金儲けでやっているなどの、不平不満を持つようになったり、

 

私はこう思うといったフィルター越しの自己解釈になったり、自分の責任として捉えるのではなく、何でも誰かのせいにしたり、何かのせいにしがちになります。

 

 

また痛みがあることしか見れなければ、全くデータや経験の積み重ねにならず、成功体験も積めないため、同じことを何度も繰り返すしかありません。

 

 

整体に色々行ったけど治らなかった人や、治すことを諦めてしまった人は多いですが、人によっては難しい症状はあるにしても、

 

多くの場合は、正しいデータや経験の積み重ねになっていないため、次に生かしていくことが出来ず、次行ったとしても同じ繰り返しになることが、自分でもそれが分かっていたから、整体に行くのを辞めてしまったのです。

 

 

 

痛みや症状があって困っている人にとっては、当然それを何とかしたいものではありますが、

 

小学生の時、テストの点が悪く怒られたり落ち込んだりして、その時は人生のどん底の様な気持ちになったとしても、それから30年も経てば、すっかり忘れていたりもするように、

 

今痛みや症状があることや、整体に行って治らなかったということも、今の自分からもっと俯瞰して人生という視点から見れば、それそのものは、余り重要なことではないものです。

 

 

人生においてもっと重要なことは、整体に行って治った、治らなかった、ということではなく、治ったにしても、治らなかったにしても、

 

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