合気道や武道、芸道、芸人の世界では、挨拶や礼儀は大事と言えば、大変そうなイメージを持たれるかもしれませんが、
挨拶や礼儀が大事なのは、何も合気道だけのことでなく、仕事など普段の日常でも全く同じことなので、余り変わりがないと思います。
たとえばもし接客業で挨拶をしなかったり、愛想が無かったりすれば、直ぐクレームになりますし、逆に自分がお客さんの立場でも、あそこは感じ悪いな、行きたくないなと思ったり、子供に挨拶や礼儀が大事だと教えたりもするでしょう。
また社会人になって会社勤めをしていたりすれば、日頃お世話になっている上司や得意先に、年賀、中元、歳暮の礼をしたりもしますが、
そういった挨拶や礼儀に日頃から気を配って、信頼関係を築いていれば、問題も起きづらくなり、目をかけて貰えたり、ひいきにして貰えたり、また何かあった時も多少のことは目をつぶって許して貰えたりもします。
しかしそうしたことを普段何もしない人が、何かやらかしたとすれば一発レッドのようになるため、人付き合いがある以上、合気道などに限らず、日頃から挨拶や礼儀に気を配って、信頼関係を築くことは大事なことではないかと思います。
その中でも特に昔の合気道や武道、芸道で、挨拶や礼儀が大事だと言われるのは、今みたいに習いたい人が誰でも習えるものではなく、信用できる人、礼儀を尽くす人しか教えて貰えなかったからです。
また今の感覚では少し分かりにくいですが、挨拶や礼儀が即修行にもなるため、弟子は薪水の労(しんすいのろう)と言って、師匠の身の回りの世話など、あらゆる気配り、あらゆる気遣いをして礼を尽くしました。
開祖から最も長く指導を受けた、斉藤守弘(さいとうもりひろ)先生が、初めて開祖に会った時のエピソードで、開祖が座る時、お弟子さんがぱっと座布団を差し出すなど、凄く早く世話をしていたことが印象的だったそうですが、
言われてから動くのではなく、そうした相手の気を読んでさっと動くことが、危険を事前に察知したり、氣を重視する合気道の技に繋がります。
折角なので昔の開祖の内弟子が行っていた、薪水の労とはどういうものだったのかをご紹介します。
朝の洗面には手拭いの用意をして待ち、食事の用意(調理をふくむ)と給仕、着替えの介助、他出自のお供(随伴の位置は原則として左後方)、他行中のいっさいの気配り、帰宅しての風呂わかし入浴の介助(背流し)、肩もみ腰もみ、夕食がすんでいなかったら食事の準備と給仕、床の用意と日常行動のすべてにわたって気を配り意を用いることを要するものであった。
師に近侍して薪水の労をとるというのが、つまりこういうことである。三日も勤めるとかなり疲労を覚えるものであった。もっともそのことは開祖もよく承知していて、「わしに三月仕えたら天下の名人になれる」と言っていた。
『武道の礼儀作法 野中日文著 合気ニュース』
昔はそんなことをしていたんだと、中々面白い話ですが、今では合気道の内弟子になったとしても、そんなことはやりませんし、当然内弟子ではない一般の道場や、ましてや道場というより、カルチャー的になっている道場では、厳しさの様なものは殆どありません。
札幌の合気道でも、内弟子制度を取っている所もないし、そうした所はまずないと思います。
その分合気道は、誰でも取り組みやすくなりましたが、ただそうしたことを行わなくなった代わりに、達人の先生はいなくなってしまったこと、昔の合気道と変わってしまったこと、合気道の大事な所が失ってしまった所が、少し残念ではあります。
しかし合気道も、昔の様な厳しさは無くなりましたが、信頼関係がなければ、先生に限らず、誰だって本当にいいものは教えたくないと思うものですし、仮に先生が教えてくれたとしても、本当に大事な所は学べません。
また挨拶や礼儀が疎かになってしまえば、図に乗ったり、調子に乗ったりして失敗したり、エゴになりがちになるため、日頃から挨拶や礼儀に気を配ったり、学んでいくことの大切さは、今でも変わらない所です。
今は自分の好きなことをやればいいという時代で、また色々と便利になり、物も溢れていることもあって、昔以上に好き勝手なことが出来てしまいますが、
そうした中で挨拶や礼儀を学んだり、合気道を学んだりすることは、自分を見つめ直すきっかけになります。
もし札幌で合気道に興味のある女性がいましたら、一緒に合気道をやりましょう。