合気道開祖の時期、弟子野中日文先生の著書、「絵で見る武道の礼儀作法」の中に、礼の基本について書かれているので紹介します。
礼というのは、自己の立場認識に基づくところの人間の行動規範である。
礼記には「楽ハ同ヲ統べ 礼ハ異ヲ弁(ワカ)ツ」とある。異とは自分と相手との立場のちがい、相手と自分とは同じではない、ちがうのだという認識、自他の境界意識のことである。ケジメ意識と言ってもよい。
つまり、相手にとって自分は今どういう立場にあるのか、社会にとって自分は今どういう位置にあるのか、ということを自覚することによって、おのずからとるべき態度や行動の存在することがわかる。
そこから、ではどうすべきか、どうあるべきかということを考えはじめる、それが礼を意識したということである。
礼にはこの立場認識ということのほかに、もう一つの基準がある。それが相手に不快を与えないという配慮である。
自分の立場がよくわかっている、ということと、相手に不快を与えないというこの日本の柱によって、人はおおむね礼に叶った態度というものについて検討をつけることができる。
端的に言えば、礼の基本は、立場をわきまえ不快を与えないことで、それがあるからこそ、人間関係がスムーズに行く訳で、そのために礼が必要になります。
しかし最近の風潮として、皆同じと考えられるようになったため、立場をわきまえられる人が少なくなりました。
確かに同じであることも大事なことですが、世の中は同じであると同時に、違うものでもあります。
皆同じであるのであれば、女性風呂に男が入ってもいいはずですが、多くの女性は反対するでしょう。
男性と女性にしても、男女の違いがよく分からず、同じであると考えてしまうために、誤解したり、気持ちがすれ違う原因になっていますが、
違いを認めることが出来なければ、全体主義的な考えとなり、差別や偏見を生んだり、意見の違いを認められず、対立することにもなります。
また上の自分が下の人に合わせるならまだしも、自分を上の人と同列にすることは、偉くするため謙虚さを失い、自分に都合の悪い事は学べない、アドバイスを聞き入れない、
結果的に誰も何も言ってくれなくなり、間違ったことをやり続け、悩みやストレスを抱え続ける、といったことにもなりかねません。
立場をわきまえ、相手に不快にさせなければ、周りの人から良くして貰えたり、上の人に可愛がってもらえたり、人間関係のストレスが減るなど、得な人生、運のいい人生になりますが、
どうせだったら、損する人生より、得した運のいい人生を過ごして下さい。