合気道は相手に合せたりしますが、だからと言って相手に殴られる訳でもないし、相手に合せて疲れる合わせ方でもなければ、自分というもの全て無くすものではありません。
本当に大事なものだけは維持したまま、他のどうでもいいことを相手に合せて、最小の力で自分の望み通りの結果を手にするような作戦です。
これが力がある人であれば、力に物を言わせれば手に入れられるかもしれないし、また力がそれほどなくても、コンビニでジュース飲みたい、
みたいな小さいものであれば、自分を変えなくても手に入れることが出来ますが、大きなものは、自分をそれに合わせないと中々手に入れられません。

合せるとは、それと向き合い自分を変えることですが、それは大変なことでもあるから、サプリメントを飲んだり、波動グッズを買ったり、叶うと信じればいいとか、
ありがとうと唱えていれば叶うよ、などのように、それ以外の方法を言ってくれる人がいたら嬉しくなります。
しかしもしそうなら子供には、塾など通わせるのはお金もかかるし大変だから、勉強しないで合格できると信じなさい、
毎日合格出来る出来ると唱えなさい、と言ってあげたらいいですが、それでは願いが叶わないことを皆知っています。
だから本当はダメなことを皆薄々知っていることです。
そうではなく、合気道のようにそれに自分を合わせることが出来れば、どんな人であっても、今がどうであっても、目標やなりたい自分など、願いをかなえることが出来ます。
「私は有名な先生から、美女は花が弱い。花を贈ると喜ばれると聞いて、毎日美女に花を送った。だから私は絶対美女と結ばれるんだ!」
そう考えるのは自由であるけれど、多分好かれるどころか通報されることになり、それよりも大事なことは美女をよく知り、美女から喜ばれる方法に合わせることです。
もしそれが本当に出来ているなら、どんな人であったとしても、嫌われようがないでしょう。
しかし子育てでも何でも、自分の思いが強くなり過ぎると、自分の考えや価値観を押し付けることになり、人や目標の深い所が見えなくなってしまうのです。
また熱くなり過ぎて、入れ込み過ぎている状態では、自分がニュートラルな状態から外れていることに気付かず、俯瞰的に自分を見ることが出来なくなっています。
札幌女性合気道の合気道でも、囚われたりムキになると合気は全くかからず、基本から大きく外れた状態です。
一旦肩の力を抜いて楽にすれば、見えて来るものがあったり、基本に始まり基本に終われば物事は上手く行きます。