還暦を迎えた私は吉田誠宏先生にあいさつに行ったときのことである。そのとたん「あほんだら」といって頭を殴られ私はびっくりした。
先生曰く「痛かったか、なんで殴ったかわからんやろうからいってやるが、お前『還暦を迎えて、これからが本当の剣道に入門です』なんてええかっこうして謙遜して言ったつもりだろうが、
お前の心の奥に『私も還暦を迎えてやっと一人前になったと』いう思い上がりの心が顔に表れているから殴ったんだ。一体おれとお前と年齢なんぼ違うんや。」
「ハイ二十五です。」
「そうだろう、お前がオギャーと生まれた時、おれは成人式も終わって五年経ってはや二十五になっている。オレから見れば赤子の手をねじるような年の開きがある。その関係はお前がなんぼ一人前の六十才になっても同じく続いているんだぞ。
八十五のおれから見れば、お前の剣道は赤ん坊にすぎないんだ。それを知ったかぶりしてあえて遠慮したような口ぶりで生意気なことをぬかすから、この辺でお前の将来のためと思って心を鬼にして愛弟子のお前を殴ったんだ、判るか」
と諭されたとき、私はハッと目が覚め、ハラハラと涙を流しながら、剣道でこの頃忘れられている「長幼序あり」という大事なことを教えられ、これを誤っては剣の道に外れ何もならん。
一寸でも心の奥に思い上がりでもあってはいけないことをひしひしと胸を打たれたのである。そのときの先生のごつい拳骨の痛さを今もって忘れることができない。
「武道実践者・柳川昌弘が読み解く 武道家のこたえ 武道家33人、幻のインタビュー」柳川昌弘 編・著 BABジャパン p126
