自分を知るというのは、自分の魂を知る、魂と一致することですが、もう少し身近で現実的なことで言えば、
今の自分を知ることや、自分の本心を知ることが自分を知ることで、それが分からなくなることが、自分が分からなくなっている状態です。
子供を整体したりする時に子供に質問すると、子供はお母さんの方へ振り向き、なんて答えたらいいのか、お母さんに答えを求めようとしたりするのですが、
お母さんは「あんたが聞かれているんだよ」とは言うものの、普段物事を決めているのは、自分の意思や気持ちではなくお母さんだから、その癖の延長でお母さんの答えを求めます。
そうした感じで他人の価値観を押し付けられ、自分の意思や気持ちが否定される内に、自分の本当の気持ちが分からなくなっていき、他人の顔色を伺うようになったり、依存したり、
大人になってもそれが続いて、ストレスの元になっていますが、そのために自分を知ることが、多くの人の共通の課題となっています。

依存ということで言えば、人間であれば楽をしたいし、電気や携帯などに依存したりもするため、多少の依存は仕方ないにしても、依存し過ぎて与えられるのが当然となれば、
与えて貰えなかったりした時に、あの人は酷い、自分が可哀想、分かって貰えないなど、悩みやストレス、いじける原因となり、依存しているものが無くなればショックを受けるし、
凄い人には特に依存したくなりますが、そうした人や自立している人であれば、依存してくる人を突き離したりもするから、落ち込んだり、依存させてくれる人の所に行ってしまったりもします。
また依存がダメなことと、人に頼ることは別なことで、人は一人では生きていけず、助け合うものだから、頼るべき所はちゃんと頼らなければならないし、
甘ったれることはダメでも、甘えていい所はちゃんと甘えなければならない、という判断や甘え方が難しい所です。
そうしたことも自分と向き合い、経験を積んで、少しずつ本当の自分に気付いて行くことの積み重ねでしょう。
合気道を知らない人や実際にやっている人でも、色々と合気道の思い込みがありますが、合気道の一つの目的は、本当の自分を知ることにあります。
またそのために軸を作るとか、相手に寄りかかっているとか、一つになっていないとか、その場に居着いて動かない癖がついているなど、色々なことに気付くことが稽古です。
もっとも合気道も色々なので、何でもいいのかもしれませんが、そうした自分を知るための合気道では、今風の自分は出来る出来る、出来てる出来てる、という感覚のものとは、少し違います。
己を知るために、自分が出来ているものも、出来ていないものも、素直に受け入れて自分に気付いて行く。また気づけば変えることが出来るから、変えたいものは変えていく。